旧東京帝大卒業し、内務省に入り、自治庁(現総務省)の事務次官を歴任。その間に、東京府の都制移行、地方自治法の制定を手掛け、官僚の最高ポストである内閣官房副長官に就任。その後、東京都副知事として東京五輪開催に尽力し、大阪万博の事務総長も務める。そして、1979年に東京都知事に初当選。革新の美濃部都政の残した累積赤字を短期で解消し、都庁の新宿移転なども手掛ける。まさに、日本の「地方自治の父」といっても決していい過ぎではない鈴木俊一氏が逝去されました。合掌。99歳の大往生でした。私が都議会に初当選した1993年当時は、知事4期目の最後のタイミング。私が都議会本会議で初登壇した際の、「地方自治の父として、首長の多選の弊害をどう考えるか?」との不躾な質問にも、孫を諭すように答弁されたのを懐かしく思い出します。心からご冥福を祈りたいと思います。中央政界では、長く「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏が体調不良を理由に参院選の出馬を断念との報道。大きな時代の節目を実感する週末です。12:20