衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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月別アーカイブ: 2004年12月

2004年12月27日

もうお忘れの方も多いかもしれませんが、昨年の年末はイランで大地震があり1万人以上の犠牲者が出ました。今年も年末になってインドネシア・スマトラ島沖で観測史上5番目の規模となる大地震が発生。津波の影響で沿岸諸国では邦人旅行者も巻き込み数千人の犠牲者が出ている模様です。先日、2004年を象徴する漢字が「災」と発表されましたが、まさに国内のみならず自然災害が多発した1年でした。来年こそは明るい話題が世界を席巻することを祈りつつ、今年最後の独り言としたいと思います。1年間ご愛読有難うございました。新年は3日からスタートを予定しています。どうぞ良い新年をお迎え下さい。感謝。9:55

2004年12月25日

昨晩は、クリスマスイヴ恒例の手塚事務所の忘年会。公設秘書の3人、常勤私設秘書の3人、そして秘書見習い期間を経て新年から正式な秘書となることになった橘秀樹君。さらには、インターンを経験後に大学に通いながら学生秘書を務める5人、同様に議員会館で手伝ってくれている3人の女子大生会館スタッフ。そして、伊藤・関口両区議と私の都合18人が参加しました。国会に送って頂いてから5回目の年末、紆余曲折や試行錯誤もありましたが、ようやく、やる気にあふれるなかなかのチームが出来たなぁと実感出来る夜でした。昨夜は少々飲み過ぎで全員が二日酔いのようですが、あらためて、私を支えてくれている仲間をねぎらいたいと思います。15:50

2004年12月24日

とても残念なクリスマスプレゼントが届いてしまいました。最高裁は民主党の2人の議員の陣営の選挙違反事件をめぐり、公職選挙法違反の罪に問われた労組幹部らの上告を棄却する決定をし、これを受けて、同期で当選して以来常に政治行動を共にしてきた鎌田さゆりさんが潔く議員辞職をしました。昨日夕方、本人から会見を前に電話があり「私は今日が新しい政治活動の始まりだと思ってるから」と気丈な彼女。党内で最も清潔で信頼出来る女性議員でした。不運では済まされない現実を前に、曖昧な公職選挙法の改正に全力をあげなくてはと決意も新たにしています。そして、彼女の捲土重来を心から祈りたいと思ってます。メリークリスマス。15:10

2004年12月23日

昨日の民主党東京都連の常任幹事会で、目黒の伊藤悠区議と世田谷の関口太一区議に対する来年の都議選の公認が承認されました。2人にはおめでとうというより、覚悟もって頑張ってくれとの思いです。さっそく手塚事務所では休日を返上し、伊藤君と私の顔写真が印刷された新しいポスターを目黒の街中に貼り出し始めました。日頃は議員会館に常駐している中村秘書も「誰よりもたくさん貼ってみせます」と、いつになく張り切っています。総動員態勢だと、目黒全域にポスターを貼り巡らせるのに3日程度とのこと。この機動力には、数年前に私のポスターを1人で1ヵ月以上かけて貼っていた伊藤君も驚愕していることでしょう。16:10

2004年12月22日

9月の自民・民主両党の若手議員訪中団(河野太郎団長、手塚副団長)でご一緒した棚橋泰文代議士。本人曰く「青天の霹靂」で、帰国1週間後の内閣改造で科学技術・食品衛生担当の国務大臣に抜擢されました。昨夜は訪中したメンバーで、棚橋大臣の就任祝いも兼ねての忘年会。大臣になるとどれほど身の回り環境が変わるかなど、同じ政界にいてもなかなか聞けない話を身近で聞かせてもらう貴重な機会となりました。同席していた蓮舫さんが「来年もこのメンバーで、今度は台湾に」と提案すると、「閣議で了承を得られないから、大臣を辞めてからにして下さい」と棚橋大臣。「そりゃそうだ」と一同大爆笑。党派を超えた同世代の仲間との縁も大事にしたいものです。11:30

2004年12月20日

昨晩のアルコールが少々残る早朝から、福岡に来ている民主党の若手議員が中心となって、福岡2区内7ヶ所で同時多発街頭演説を実施しました。私も平尾交差点の責任者として参加し、藤井裕久代表代行らと共に福岡で党大会を開催している意義を訴えて来ました。そして、午前10時からは全体会議。岡田克也代表が「政権交代に向け、その歴史的使命感を共有しよう!」と力強く訴え、万雷の拍手で大会は閉幕しました。帰りの飛行機は民主党議員で溢れ、あたかもチャーター機の様相。ちなみに私の手荷物は、博多名物辛子明太子です。15:20

2004年12月19日

福岡からの独り言です。今日と明日の2日間、民主党の2005年度定期党大会が開催されています。数年前、沖縄で開かれたことはありましたが、地方での開催は稀なことです。それだけ、来年の4月に実施される福岡2区の衆院補欠選挙に党が力を入れているということでしょう。あの山崎拓氏の復活を許してはいけないと、党関係者およそ800人が博多に結集してるといえば少々大袈裟でしょうか。この後、全体の懇親会終了後には、早大雄弁会時代の同期で、当時、なかば喧嘩腰で口角泡を飛ばし天下国家を論じあった、現在は朝日新聞の福岡支局で記者をしている本山君が博多の夜を案内してくれるとのこと。楽しみです。19:00

2004年12月18日

台湾の李登輝前総統に対するビザ発給問題について。中国側の主張は、台湾独立を目指し今もなお政治的影響力をもつ李氏の訪日には何が何でも反対という立場です。台湾問題は私が訪中した際も、必ず中国側と大激論となるテーマ。しかし総統の座を退かれて数年、私人となった氏の来日を政治的影響力を理由に拒否し続ければ、その抽象的な線引きで、氏は生涯訪日出来ないことになってしまいます。氏は京都大学に留学し流暢な日本語を話します。日本国内にも古い友人が多いはず。小泉総理の度重なる靖国参拝で微妙な日中関係。タイミングも難しい政治判断だとは思いますが、私は今回のビザ発給を支持したいと思います。11:45

2004年12月17日

本州最北端の青森県大湊町から上京し、文字通り裸一貫で会社を興し、日本有数のマンション販売会社に育て上げた、ダイナシティの中山諭社長、現在42歳。「がむしゃらに働いていたから、政治には関心なかったけど、初めて投票したのが手塚君だった」とのこと。そして、9月14日はダイナシティの設立日であると同時に私の誕生日でも。そんなご縁もあってか、中山社長には日頃から親しくお付き合い頂いています。昨夜は、中山社長に蓮舫さんも交えての忘年会。2人とも男女の違いがあっても、いわゆる酒豪で、さすがの私も今日はひどい二日酔いです。忘年会シーズン真っ盛り、皆様も飲み過ぎにはご注意下さい(笑)。14:50

2004年12月16日

水戸では史上最速で梅の花が開花とか。このペースでいくと、年明け2月には桜が満開なんてことになるのでしょうか(笑)。暖冬で朝の駅頭などは確かに助かるのですが…。さて、今年も残すところあと2週間余りとなりました。そこで激動の1年を振り返り、毎年恒例となった、極めて個人的な今年の10大ニュースを「手塚日記」でまとめてみました。今年の始めの頃のことは記憶から薄れつつありますから、手帳をめくったり、このHPを管理してくれている秘書の井上さんの記憶を頼りにしての苦心の作となりました。是非、ご笑読下さい。10:25

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