衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2011年9月20日「夢の続き」山下大典

「野田さんが大本命と言われる中、前原さんの出馬を聞いた時どのように感じましたか?」
「まさに青天の霹靂でした」
 あるテレビ番組で、代表選の幕開けともいえる質問に対し、手塚が答える一場面。その後も、
「手塚代議士のお話を伺いたいのですが」
「手塚議員にぜひご出演頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
連日のようにテレビ局からの電話が鳴り響き、出演依頼が引きを切らさない。
 バラエティー以外は基本的に取材は受けるという手塚の方針のもと、
「こちらこそよろしくお願いします。調整してまたご連絡致します」
メモを片手に昼夜休日問わず何十回と、慣れない取材調整に戸惑いながらも繰り返す日々。
 野田総理誕生という最高の結果で終わった代表選から数週間が経過しました。代表選前後の1週間で、手塚がテレビ出演した数は実に16本にも上ります。
 この間、野田選対幹部として手塚のメディア出演が増える一方、日によっては食事をとる暇もないほど過密日程になっていました。
「政治家は、テレビ局に呼ばれる癖がつくようになるまでが一番大変なんだよ」
某テレビ局の番組出演の帰り、手塚が呟いていたのを思い出します。
 一昔前と違って、政治家のテレビ出演が珍しい時代ではありませんが、それでも声をかけられる議員は全体のほんの一部に限られています。視聴者のニーズを敏感に汲み取り、製作者側がメッセージを伝えるにあたって一番適切だと思う議員に声をかけるわけですから、その人選は極めて重要です。
 代表選で野田陣営代表として多くのメディアに出演し、代表選後もまた総理に最も近い人物として現在でも取材依頼飛び込んでくる日々。これまで手塚が最も敬愛する野田総理と政治活動を共に歩んできた結果がそこにはありました。
 今回、私も初めてスタッフとして代表選に関わってみて、驚きと戸惑いの連続でした。取材調整もそうですが、中でも印象的だったのは当日の決起集会。ここまで来た長い長い道のりを想い、手塚をはじめ多くの議員が感極まるなか、普段手塚を取材している記者の方々も涙する様子は、筆舌に尽くしがたく、胸に迫る感動がありました。
 多くの人は夢や目標を模索し、そこに向かって膨大な努力を積み上げます。そして夢を叶える人はほんの一握り。そういった意味では夢が叶うということは幸せなことです。ドラマや小説ではここで終わり、いわゆるハッピーエンドとなります。しかし、現実はそこで終わりでなく、ともすれば前以上の困難が待っていることも少なくないでしょう。
 手塚の長年の夢である「野田総理誕生」が叶った今、総理大臣補佐官として野田総理の最も近くで、総理官邸内の総合調整役を一手に引き受け、野田総理と二人三脚で奔走する毎日。
 しかし、目の前には震災の復旧復興や経済の立て直しなど野田内閣が直面する大きな困難が立ちはだかっています。
 今後、立場的にも新聞や雑誌を賑わすことも増えてきます。手塚の「夢の続き」にご注目ください。

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