衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2010年1月18日「アラフォーの転身」磯田久美子

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 千代田線を国会議事堂前で降り、地上に出るといつも少しずつ違った風景が私を迎えます。色づき、葉を落としていく銀杏並木、国会見学に来る小学生を詰め込んだ観光バス。信号待ちの間に、衆議院の通行証をバッグから出し、仕事モードのスイッチを入れるのがこの3ヶ月の間に習慣になりました。
 先だっての富川秘書の日記で紹介されました“成城マダム”こと磯田久美子は、手塚よしおと同じ丙午43歳。20年前、同じキャンパスで大学生活を送っていたはずですが、学生時代から政治家を志していた彼とは異なり、私のほうはマスコミはじめ人気企業を片っ端から受け、雇用機会均等法の波に乗って、電機メーカーに総合職として就職しました。
 丸の内OLとしてバブル期を過ごし、政治家秘書と合コンした翌週、女性の人数分のマスクメロンが会社に届いたこともあった。と思えば、新規市場開拓を担当し、初めての海外出張は軍事政権下のミャンマー。その後、医療事業の担当になり、当時の通産省の方針のもと、遠隔医療の実証試験に従事していた時代もあり、それらの実績を武器に転職も経験。
 そんな私も40を目前に結婚し、子どもを持つと、今までのように好きなだけ残業、必要あれば即海外に飛ぶというわけにはいかなくなりました。15年以上積み上げてきたキャリアが、子供1人のためにすっ飛ぶこともある。
「新人に戻ったつもりでゼロから頑張れ」
と諭す人事担当者に
「それなら年齢も23歳に戻して!」
と叫んだ私でした。
 代わって、前面に出てきたのが保育園の手配やら、野川沿いに購入した我が家の地下を通る外環道路計画やら、自治会当番やら、行政や地域社会との関わりでした。何しろ子育てや住まいに関わる死活問題ですので、地元の説明会や議員のタウンミーティングに参加し、パブリックコメントを書き…、と本業が閑になった分だけ余ったパワーを注ぎ込んでいました。
 そんな時に、あるパーティで知り合ったのが浪人時代の手塚よしお氏。第一印象は「目ヂカラがある人」でした。
 その後、再び会社を辞め、ハローワーカーと化した私が、
「このご時勢、40代子持ち女が就職するのは、政権交代より難しい」
とのたもうたのがウケたのか、復活当選して政権交代を果たした2009年の秋、秘書として採用されました。
 議員会館の秘書とは、どんな仕事か?
 一言で言えばなんでもあり、です。来客時のお茶出し、書類の手配、会議の代理出席から陳情の処理、有権者の方からの電話対応…、これらは今後の秘書日記でレポートする機会もあろうかと思いますので、請うご期待。
 子どもを持って企業キャリアのコースを外れてしまいましたが、子どもを持ったおかげでいろいろな政策に目が向き、ビジネス以外の多くの人と知り合い、今ここに居ることを有難く感じています。
 本日から、半年間に渡る通常国会も始まりました。見事な転身を遂げた新人アラフォー秘書に、温かなご指導をいただければと思います。

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