衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年6月26日 「繰り返されてきたモノ、そして・・・」橘 秀樹

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 隣に座る人から見ればただただ無為な時間を過ごしているかのように思えたかもしれない。2004年11月のある日、木枯らしの吹く多摩川べりのファミレスで昼食を頬張りながら、初めて体験するポスティングでへとへとになった身体を休めていた。今にも降り出しそうに低く垂れこめた雨雲を見つめながら、でも心の中だけはそんな気分の暗くなるような曇天とは裏腹に、煮えたぎるように燃えていた。手塚事務所に来て間もない頃だった。
 年が明けて2005年1月、伊藤悠、関口太一が挑む都議選に向けて周囲の空気が一変すると、連日に渡り怒涛のポスター貼りや大量のポスティングが始まった。自分にとって初めて経験する地方選挙の裏方だった。ちょうど世田谷に引っ越してきたのもこの頃だった。
「今からちょうど8年前の町田市議選だったよ。初めての選挙の手伝い・・・」
今年2月に行われた町田市議選の応援に向かう車の中で伊藤悠が呟いた。後部座席に座る私より年下の都議会議員もかつて今の自分と同じ経験をしたとは、にわかに想像できなかった。これまでどれだけの階段を登ってきて今の伊藤悠があるのだろうかと思った。ということは手塚よしおはいったいどれほどの階段を・・・。自分にはまだまだ想像もおぼつかない。
 かつて事務所2階の倉庫を片付けていた時、国政を目指し浪人中だった手塚よしおと当時まだ大学生の伊藤悠、そして手塚が都議選に出馬した13年も前から傍らにいる井上裕美子の3氏が寄り添う写真を見たことがある。今の手塚事務所スタッフに比べると少々寂しいが、その写真にはその後を予感させるような自信と確信に満ち溢れていた。自分の知らない手塚事務所の歴史の中で繰り返されてきたモノ・・・、それは志が潰えることなく続いてきた選挙という洗礼。そして新陳代謝とも思える秘書やスタッフ達の巣立ち。きっと皆同じような事で苦しみ、悩み、喜び、そして全てを分かち合ってきたのだろう。
自分は困難に直面したときにいつも想うことがある。この苦しい経験もまた「繰り返されてきたモノ」であり、誰もが必死で乗り越えてきたことなのだと。手塚自身も、計り知れない程の様々な修羅場を乗り越えてきた経験があり、だからこそ今の姿があるはずなのだ。そう心の中で呟く。
 まだまだ駆け出しの自分だが、こんな自分にもほんのわずかだが登ってきた階段がある。あの日経験したポスティングから登ってきた「世田谷区議会議員選挙」という階段の途中、決して忘れることのできない「民進党公認」という踊り場までようやく辿り着くことができた。ここから見える折り返しの階段はさらに勾配が急なようだ。しかしこのキツイ階段を登ることもまた「繰り返されてきたモノ」なのだろう。手塚事務所の先輩達が登ってきた階段を、今回ばかりはいつものように間抜けに足を滑らさぬよう、這いつくばってでも絶対に登りきる覚悟なのだ。
 しかし、今年1月から取り掛かっている名刺はまだ出来ていない・・・。

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