衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2005年10月24日 「捜してます」橘 秀樹

 焼けるように暑かったあの夏の日に始まった戦いは、9月11日を過ぎてもまだ続いていた。第一議員会館536号室。ふと気が付くと、事務所スタッフに指示されるがままに荷物を運び出す自分。廊下には「積み重ねてきた歴史」がそれこそ天井高く積まれ、遥か遠くまでトンネルのように続いている。自分の中で例えようもない感覚に襲われ始めたのはこの頃だったか?
 手塚よしおの手放した代償は余りにも大きく、残酷にもそれが次々と目に見える形に変化していった。人の手に渡っていった手塚の愛車の走行距離はわずか3万キロ余り…。そして感慨深く見送る僕の車には、いつの間にか駐車禁止の黄色い輪が…。愕然と膝を落とし、この頃初期の回転に突入したと言えよう。
 事務所内の空気も一変し、事務所スタッフの再編成という避けられない現実を目の当たりにした自分は、先輩秘書たちの膨大な業務を引き継ぐに連れ、その責任の重さを実感している。もとより許容量に問題を抱えている者としては、特に車の運転には細心の注意を払っていた。直属の上司、伊藤悠都議の議会活動も順調に進み、かつ数多の事務局役をこなす伊藤にとって移動する車内は貴重な空間。諸氏との連絡や調整に追われる車内は、時に緊迫した空気に包まれる。携帯を片手に車を降りる伊藤都議を見送り、安堵感に包まれながら車を止めると何故かそこにはあるはずのない障害物が…。真新しい愛車のナンバーが折れ曲がっている光景は、もはや加速し下降し続ける回転の中で正視することすらできなくなっていた。
 議席を失い、また議員会館という城を失ってしまった手塚よしおにとって五本木の事務所はまさに本丸。毎日顔を合わせ会話が出来るようになったことが、変化として一番実感できるかもしれない。日頃、自分の仕事ぶりを見るにつけ悶々とした感情を察知されてしまったのであろうか…
「ところでタチバナ君、いくつになったの?」
「32歳になりました」
「公太朗(26歳)が結婚したりするのみて、あせったりしない?」
「はい、一刻を争っています」
「区議選の公認は結婚が前提かな(笑)」
「…」
もはや誰にも止められない負のスパイラルは、地中深く岩盤にまで突き当たった。もう負のネジは巻ききった。徐々に正の回転を始めるタチバナは、手塚事務所もろとも昇天させ、未だ見えぬ手塚よしおの次の戦いに完全勝利することを心の底から確信している。
しかし、とりあえず誰か見つけないといけない。

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