衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2011年6月1日 外野席「福島ショック」蓮 孝道

 信号機が消えた。まちのネオンサインも街灯も。家では照明が消え、テレビは沈黙し、コタツも切れた。替わりに仏壇で埃をかぶっていた法事用の大きなロウソクが、家族の集まるお茶の間の真ん中にユラユラ灯った。
 あの大震災後の数週間、東京電力管内で4時間毎に順番を回した計画停電には、自分たちがどれだけ電気に頼り切った生活をしていたか思い知らされました。
 何しろお米も焚けやしない。ガスコンロは使えても、手元が真っ暗で調理できない。しょうがないからカップラーメンでもと思ったら、ポットのお湯は冷めている始末。
 時節柄、選挙のお願いに支援者を訪ねれば、
「こんな時だから多少の不便は我慢する。けど俺たち田舎もんが毎日停電で仕事にもならねぇっていうのに、電力の大量消費地東京が御構い無しは納得できねぇなぁ」
と愚痴をこぼされ、
「すいません」
と頭を下げる毎日でした。
 そして次に降りかかってきたのは放射能問題。農村地域のみどり市では、春のほうれん草、かき菜の出荷で1年の3分の2以上の収入を得ているという農家も少なくありません。青々と葉を広げた野菜たちをそのままにしておくこともできず、泣く泣くトラクターで蹂躙せざるを得なかった農家の苦悩がいかばかりか。喜んでいるのは、畑に放たれてお腹いっぱい野菜を食べられた我が家のヤギくらいなものでしょう。
 福島第1原発の事故は、僕たち日本国民に留まらず人類のエネルギー観を根底から覆した大事件であると思います。それはそれは小さなたとえですが、今までテレビ照明付けっぱなしの上、コタツで寝ていた友人すらも、今ではトイレの便座の暖房に気を使うエコ男子に豹変させるほどのショックだったわけです。
 そうして考えて思い出されるのは、僕の尊敬する明治時代の政治家、田中正造の言葉です。
 日本の公害の原点とされる「足尾鉱毒事件」を闘った田中翁が残した
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
という言葉が100年を経た今、もう一度僕たちの胸に突き刺さります。
 先日、その田中翁直筆揮毫が栃木県小山市で見つかったという記事が地元紙上毛新聞に載っていました。その書は、田中翁の座右の銘であった「辛酸亦入佳境(辛酸また佳境に入る)」という言葉と共に翁の短歌が書かれていました。
「世をいとい そしりをいみて 何かせん 身をすててこそ 楽しかりけれ」
事故後、菅直人首相が浜岡原発の停止、サミットでの自然エネルギーへのシフトと矢継ぎ早に国家のエネルギー方針を示されたことは大英断であったと思います。首相と、首相を支え国難に立ち向かい、謀略渦巻く国会に臨む手塚親分へ、奇しくもこの時発見された田中翁の言葉を贈りたいと思います。

内野席・外野席

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