衆議院議員手塚よしおウェブサイト。立憲民主党 東京都第5区(目黒・世田谷)。都議1期、衆院4期、元内閣総理大臣補佐官。現在、議運筆頭理事、国対筆頭副委員長、都連幹事長など。

2005年7月5日 「浦島太郎はもう立てない」松田哲也

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 7月3日正午。
「キョウワー・トギカイギイーン・センキョデス」
けたたましく流れるアナウンスで起こされた。昨日までの激しい選挙戦の疲労で泥のように寝ていた。
 NHKの定時ニュースを見なきゃと布団に入ったままテレビを付けた。
 そうだ。そういえば、この1ヶ月間このテレビも寝かせていた。連日帰宅は早くて深夜1時、そして朝6時には家を出るという生活だったからだ。
 久し振りに映し出された画面は8ch「ウチくる」だった。いつの間にか飯島愛はポッチャリ太っていた。つかの間、選挙を忘れて惑惑40才に戻った。そのままNHKにはしなかった。数ヶ月振りに、女性を女性として見た。
 でも「もう立てない」。起き上がらなきゃいけないのに、この選挙戦で玉手箱を開けたように、一気に全て老いてしまった私の体はもう立たない。もともと老けてたか。頑張れ風太。折れるな40才。
 「0:53」私はこの時間を、数字を忘れないだろう。上野毛駅に終電車が着く時刻だ。
 今回、世田谷から挑戦した関口太一は、毎晩終電車が到着し、駅の灯りが全て消えるまで駅頭に立ち続けた。あまたの選挙を見てきたが、こんな根性のある候補者は初めてだ。
 命のたきぎを最後の一枝までくべるように立ち続ける関口太一。日を追う毎に声は枯れ、しかしその存在感は更に増し、有権者の心を打ち抜いていった。29才の情熱はスタッフの器も溢れさせ、涙する者もいた。
 激戦の世田谷選挙区。自民も民主も公明も複数の候補者を擁立し、ネット・社民・無所属現職とも票を取り合う、恐らくこの国で行われる最も苛酷な選挙戦。結果は残念ながら惜敗。しかし、唯一全く組織を持たず学生によるボランティアの選挙だけで、勝者には一歩及ばなかったが、20,827票という信託は今までの政治の常識では考えられない驚異的な得票だ。
 ここに、関口太一の底知れない無限の可能性を感じた。世田谷区議会で百官の非難を浴びてもおもねる事なく、自らの信念を貫き通してきた関口太一。関口太一の挑戦は、また違う形でこれからも必ず続く。
 42選挙区で繰り広げられた2005年東京夏の陣は終わった。地方議会の選挙では圧倒的な強さを保ってきた自民党は51から48と議席を減らした。民進党は目黒区の我が伊藤悠初め各選挙区で激勝し、19から35議席と目標を遙かに上回り倍増も窺う大躍進を遂げた。
 今回の選挙の総指揮を取ったのは言うまでもなく手塚よしお都連幹事長。昨年の夏の参院選直後から候補者擁立・練達の舞台廻し役をこなし、選挙期間中は連日東京中を駆け廻り、各候補者をあの演説で鼓舞し続けた。
 「手塚よしお」の名は他党にも音に聞こえていたが、その名声はこの都議選で確定的なものになった。
 これで自民党の外堀は完全に埋まった。いよいよ次は、政権交代を賭けた総選挙。舞台が大きければ大きい程、土壇場になればなる程、凄みを発揮する武将の要素を合わせ持つ政治家。
 秋の陣でも冬の陣でも春の陣でも、我々スタッフは手塚よしおに付き従い、あの首相官邸という天守閣を目指す。二度と立てなくなっても。命のたきぎが消えるまで。

秘書日記

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