衆議院議員手塚よしおウェブサイト。立憲民主党 東京都第5区(目黒・世田谷)。都議1期、衆院4期、元内閣総理大臣補佐官。現在、議運筆頭理事、国対筆頭副委員長、都連幹事長など。

2005年6月27日 「通過点」井上裕美子

 都議選が告示され、伊藤悠選対でもあり、関口太一選対でもあるというツートップポジションを組む手塚よしお事務所です。今日は告示当日。伊藤、関口両候補がそれぞれの選挙区で熱く都政への思いを語り、支えるスタッフは首都決戦、その向こうに見えている政権交代、まずは両候補の勝利に向けて闘いながら、ひたすらにビラを撒いています。今日は岡田代表と手塚が二子玉川に応援演説に入っているのできっと多摩川の水温さえも上がっていることでしょう。
 五本木事務所に一人残った私は、ビラの数を確認しながらついつい5年前に思いを馳せてしまいます。そう、2000年6月25日、手塚よしおにとって生涯忘れることのないこの日。日本新党から都議選に出馬し初当選、都政に新風を吹き込みながらも、決意と志のもと衆議院議員を目指し辞職、初挑戦の衆議院選挙に次点で涙を飲んでから約3年半、ただただ駅頭で政策と覚悟を訴え続けた日々。故小渕元首相の突然の逝去からあっという間に迎えた衆院選。待ちに待った捲土重来を果たす機会。興奮でアドレナリンが24時間排出中、勢いだけで走り続けた選挙事務所でした。とはいえ、今よりも格段に組織力も選挙態勢も整っていなかった民進党同様、手塚よしお選対も若さゆえ、勢いゆえ、走りすぎたり、至らなかったりした面も確かに多かったのだと今なら平静に思い返すことが出来ます。
 選対の実質的な取り仕切りを行っていた伊藤悠も、当時は23歳という若さで、彼の友人が買って出てくれたボランティアが主体の選対ですからそれも無理は無いことだったんだろうな、と。
 迎えた選挙戦の最終日、当時の鳩山由紀夫代表が自由が丘駅に駆けつけてくれました。夕方「鳩山由紀夫来る」のプラカードが踊る駅前ロータリーは黒山の人だかりでした。駅のホームで電車を見送りながら演説を待っている人も、もちろん今まで辛い浪人時代を支えてくれた数多くの顔も見えます。鳩山元代表の応援演説、そしてこの選挙戦最後の手塚の訴えが終わり、深々と頭を下げた瞬間のあの拍手の音は今でも忘れることが出来ません。何かをやり遂げた達成感だったのか、手塚の目が涙で紅く染まっていました。
 そして、5年前の明日、手塚よしお衆議院議員が誕生しました。後になって長い政治家人生を振り返れば通過点に過ぎないのかもしれませんが、決して忘れることの出来ない通過点です。
 この5年の間に伊藤悠は・・・・。
「リリリリリリリ!リリリリリリ!」
 エアポケットの時間は終わり、電話のベルが都議会議員選挙に私を呼び戻しました。もうすぐ疲れ切ったスタッフがお腹を空かせて帰ってきます。昔を懐かしんでいる時間の余裕はありません。投票日まであと10日。都内をくまなく応援で走り回る手塚も、事務所のスタッフも力を振り絞り最後まで走り続けます。何度繰り返しても慣れることのないあの瞬間を夢見て。

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