衆議院議員手塚よしおウェブサイト。立憲民主党 東京都第5区(目黒・世田谷)。都議1期、衆院4期、元内閣総理大臣補佐官。現在、議運筆頭理事、国対筆頭副委員長、都連幹事長など。

2007年12月3日 内野席「天子(ティエンツ)」松田哲也

 甥っ子の手を引いて母を探した。イトーヨーカドーの1階食品売り場も屋上駐車場も。はぐれた母に電話しても館内放送をかけても応答がない。つないだ小っちゃな手の平は不安で濡れていた。瞳は涙を溜めていた。その時、
「ウェ~イ!おばあちゃん迷子~!?でもそんなの関係ねぇ~♪てっちゃん怒っちゃダメだよ」
 その日3歳になったばかりの甥っ子の、半泣きの笑顔と優しさが胸に突きささった。
「ハッピバースデートゥユー!」
妹夫婦の家で誕生日を祝った。迷子か徘徊かビミョ~な母も無事合流し、みんなで『はねとび』オシャレ魔女ゲームをして遊んだ。フライパンの上を跳ねるポップコーンのように。
「今日はありがとう!また来てね」10日後に2人目の出産を控えていた妹は、玄関で大きなお腹を抱えて笑った。
 踊り疲れたディスコの帰り♪の学生の頃のように、その日の夜は目黒まで帰る余力もなく近くの母の家で泥のように寝た。
「哲也、起きて!何だか急に産まれるって‥」
「本当かよっ‥」
まだ明けきらないキーンとした街に出て、車を走らせた。ほんの数時間前まで穏やかだった妹の家は、命の誕生を迎える激しい鼓動が響き渡っていた。そして甥っ子に妹ができた。
 小島よしおになりきった甥っ子に妹ができた同じ11月、手塚よしおも護摩木を焚き御百度を踏むような思いでいた。結婚して15年。奮闘努力の甲斐もなく今日も涙の♪手塚さんは初めての出産に立ち会っていた。そして天子が舞い降りた。姓は『手塚』名は『寅仁朗』
 まだ朦朧として寝ている夫人の左肩に、万感の思いを込めて珠玉をそっと載せた。
「重いっ!」
と一蹴された。夫人に伝わったのは重さだけだった。 そういえば、伊藤悠都議の結婚式で皆が寄せ書きをした時、夫人は一言「コマネチ!」と書いた。みんなずっこけた。夫人にとって寄せ書きは寄席だった。
 佐賀のがばいばあちゃんはこう言った。
「貧乏には2通りあるとよ~。暗い貧乏と明るい貧乏。ばってん。うちは明るい貧乏だから、よかっ」
そう。浪人生活にも、暗いそれと明るいそれがあるのだろう。手塚さんのお笑い芸人以上の面白さはつとに有名だが、この浪人期間はさすがにキツかった。救ってくれたのは、ひからびかけてた毎日に現れた新しいスタッフたち。
 例えば、育ち盛りですぐに服が窮屈になってしまう土橋秘書。最近色気づいてきたけど色気はでない土橋秘書。1日のスタート!手塚さんを乗せて朝の駅頭に向かう車中、五輪真弓の『恋人よ♪』を流す土橋秘書。駅に着いて何度、手塚さんが握ったマイクを足下に置こうとしたことか。そんな素敵なスタッフたちが手塚さんを支えている。
 私はこの内野席から、フィールドでプレーするその選手たちに感謝を込めてこれからもエールを送り続けていく。いつでもいつも私も降りて、バットを借りてボックスに立ち続けていく。
「君が僕の前に現れた日から、何もかも違って見えたんだ。朝も光も涙も歌う声も、君が輝きをくれたんだ」
byスキマスイッチ。
 2007年。新しいスタッフとともに手塚さんの前に現れた新しい命。これからどんな恋をして、どんな夢を奏でていくんだろう。
 天子たちが大人になっていくその季節が悲しい歌で溢れないよう、私たちは2年間ずっと置き続けてきた花火の筒に来年一斉に火をつける。
 つないだその手を離さない。夏の夜空一面に咲く花火のような素敵な夢をこれから一緒に叶えていく。冬の夜空に輝くポラリスにそう誓った。

内野席・外野席

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